「ふうん、そんなことに感激するとは、おまえもロマンチストじゃないか。俺には、世界中を飛び回れる船乗り稼業のほうが、ずっと魅力的だけどなあ」
世の中はちょうどバブル景気の真っただ中にあり、ギラギラとした雰囲気が街に漏れていた。そんな中で私は、無意識のうちに心の潤いを求めていたのかもしれない。
* * *
海上勤務と陸上勤務では、その時間の過ぎ方が決定的に違う。海の上では、通勤時間はほとんどゼロである。そしてひとたび大洋航海に入れば、定められた八時間の当直以外は、基本的にフリータイムなのだ。したがって、自分の時間をたっぷりと活かすことができる。
一方、陸上勤務の生活には"長い通勤時間"という難物がつきまとう。往復で三時間などというのはザラで、家に帰っても平日は寝るだけ、という人も少なくない。そして週末は家族サービスとくれば、自分の時間はなかなか持てないのが実情である。
「陸上勤務になってから、すっかり本を読めなくなりましたよ」
オフィスで私がそうボヤクと、周囲の何人かが大きく頷いた。
サラリーマン生活を続けていると、月日があっという間に過ぎていく。それだけ仕事や生活に変化があるせいなのだが、それと同時に、自分を見つめる時間が少ないことも大きな原因であるに違いない。
もっとも、だからと言って、私はサラリーマン生活が悪いとは思っていない。何よりも、仕事や時間にメリハリがあり、活気に漏れているからだ。大都会でのサラリーマン生活は、船では絶対に味わえない刺激が満ちているのである。

「身勝手な言い方かも知れませんが、海上勤務と陸上勤務を、適当な間隔で交互に体験できればありがたいですね」
昼休みに私がそう言うと、船長クラスの何人かが、すぐに異論を唱えた。
「いや、絶対に船のほうがいい。オフィスで背広をきていると、潮気(しおけ)が抜けてしまうぞ」
いかにも船乗りらしい言葉だが、そこには、ちょっとした立場の違いが潜んでいたように思う。
異論を唱えた人たちは、海に帰れば、押しも押されもしない船長である。いわば一国一城の主で、絶対的な権限を持っているのだ。しかし、本社のオフィスでは、そうはいかない。同じフロアーに上司がたくさんいて、何をするにも、その承認を得る必要がある……。もちろん、船長に与えられた責任は重く厳しいものであるが、本社オフィスでのプレッシャーは、それとは全く違う種類のものであるに違いなかった。
その点、私は海上でも陸上でも、いわゆる"ぺーぺー"の立場だったので、その種の違いを感じなかったのかもしれない。
以前、旧帝国海軍の参謀だった人の回想録を読んだ中にこんな文章があった「昇進が嬉しいのは当然のことだが、その中でも艦長になった時の感激は格別である。艦の中には自分よりエライ人間がいないのだから、神様になったような気分だった」
少し話がそれてしまったが、私の陸上勤務は、ちょうど三年で終了した。
一生をサラリーマンで過ごす人と比べれば、いろいろな職場を経験できる私たち船乗りは、きっと幸せであるに違いない。海上に戻り、一等航海士となって三年がすぎた今、私はそんなふうに考えている。
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